2011年、3月11日。
東日本大震災が起こったあの日、ちょうど一人目の子どもが生まれて3ヶ月が経つ頃だったといいます。
当時はまだ正社員での勤め人で、サラリーマンとしてボーナスをもらいながら65歳でハッピーリタイアできればいいなと考える、普通の共働き主婦だった阿部芽久美さん。
それがあの日の震災をキッカケに、放射能から自分の子どもをどのように守ればいいのかを調べ始め、そこから徐々に、
「いやちょっと待って。危険なのは放射能だけじゃなく、もっと日常の中にたくさん潜んでいるみたいだぞ……!?」
ということに気づいていったそうです。
小さな子どもを抱えながら、自然のものを生活に取り入れる「オーガニックライフ」を自らも実践しながら、少しずつその活動範囲も拡大。
2019年の3月現在では、自然でナチュラルなものを集めた「マルシェ」を多数開催。13回のうち、2回は100名規模の大型マルシェだったといいます。
そのほかにも、「おててカルチャー」と称する自然派・ナチュラル派を中心に集めたカルチャースクール団体の主宰も務め、その開催実績はなんと、全3拠点で261回の講座開催。ご参加いただいた総受講者数も、785名にのぼるといいます。
「オーガニックライフアドバイザー」として活動する阿部芽久美(愛称:めぃ)さんは、どのような想いをこれまでに綴り、そしてこれからどのような展開を未来に見ているのか、お話を伺ってきました。
オーガニックを社会に根づかせるために

阿部芽久美/オーガニックライフアドバイザー。2011年の震災をキッカケに健全な暮らしへの意識が高まり、その後、オーガニックを食や衣服の面から取り入れる実践者として自然と活動が始まる。個人事業主として開業し2014年に個人での活動開始。2018年からは本格的にオーガニックを社会に広める事業にするため、成田市内の給食への取り組みや、農家さん側からの提案である非営利法人設立などを検討しながら身近な生活者への啓蒙活動を続けている。
── 2018年は精力的に、成田市内での給食にオーガニックな食材を取り入れるための活動を模索していたと聞きました。
阿部:これまでは私個人が事業主として、オーガニックと呼ばれる、いわゆる自然食品や環境にやさしい考え方を普及させる活動をしていたのですが、昨年はもっと社会的に根づかせる活動ができないかと考え、以前から何とかならないかと考えていた成田市内の学校給食から何かできないだろうかと模索していました。
── 1年間やってみて、どのような成果が得られたのでしょうか。
阿部:最終的には、給食センターや教育委員会、栄養士さんや現場の方、上層部の方々も含めてお話をさせていただける機会を持つことはできたのですが、やはり条件としては「価格」であったり「安定供給」「納品対応」などの部分が整っていればOKということで、それがオーガニックな食材だからといって優位になるものではないという回答をいただきました。
予想できていたことではありましたが、ああやっぱりそうか、という気持ちではありました。その点については、私たちもまだ多くの課題を残したままだったからです。
ただそこに至るまでの経緯を通して、生産者さんやオーガニックに関心のある人たちと更なる「つながり」を持てたことが大きな収穫だったなと感じていて、次なる一手として法人化の動きなども検討されています。
ここから行政の方や市政ともかかわることが出てくると考えています。
活動を通して、同じ価値観をもち、たくさんのサポートをしてくれた市議会議員の友人が、4月の選挙でも当選し3期目をスタートしたのですが、私も事務局として2月から5月末までたくさん関わりました。そこから見えてきた課題もあります。
── 社会的に大きな活動へ乗り出した阿部さんですが、これまでも個人としてかなり注目を浴びるような活動をされていた印象があります。
阿部:2016年にスタートさせた「おててカルチャー」という、自然やナチュラルなものを中心に講座をおこなうカルチャースクールを3拠点で実施していたのですが、おかげさまで3年で261回の講座開催ができました。
もっと個人のレベルでいうと「お見立て」というお洋服のショッピング同行をするサービスを提供していまして、そちらもこれまでに70名様ほどに提供し、そこでもオーガニックと絡めたお話、持続可能な地球環境についてお話などもさせていただいております。
私は本当に多岐に展開することが多く、同時進行のベビーマッサージも合計63組の方にご参加いただき、赤ちゃんだからこそ取り入れたい自然なもののお話をさせていただいておりました。
そのほか、公共施設や自治体絡みのイベントでも「オーガニック」の視点から関わっています。
3度の試練を乗り越えた先に見えてきたもの
── 現在の活動を支える「原体験」のようなものは何かあるのでしょうか?
阿部:私は2013年末に個人事業主として開業届を出すのですが、実はそんなにカッコイイ志があったとか、そういうのではなかったんです。たまたま次男が1歳になる時に状況として「何でもいいから働いている証明書がないと長男を通っている保育園に預け続けられない」という事態に陥ってしまったんです。
これはヤバイと思い、子どもを保育園に預ける証明書を手に入れるためだけに「開業届」を出したっていうのがそもそもの始まりだったんです(笑)
そのときにベビーマッサージの資格は取得したばかりとはいえもっていたので、それでどうにか仕事をして食べていけるだろうって呑気に構えていたんですね。結局、それだけじゃ全然ダメだったんですが(笑)
── 2011年の震災の際に健康や環境について考えるようになったというお話でしたが、それが「オーガニック」という事業方針にそのまま結びついたのですか?
阿部:3.11 の地震災害では本当に価値観を大きく揺さぶられ、生き方そのものが変わりました。ただ事業として「オーガニック」をより意識したのは、私の耳に起きた「障がい」がキッカケでした。
会社とベビーマッサージの二束のわらじで育休から復帰、それから10か月後に私、、耳が聞こえなくなってしまったんです。
右耳はもう聴力がなく、左耳も一般の人の半分程度しか聞こえないため補聴器をつけています。まさか自分がそんな風になるとは思っていませんでしたし、こうなる半年前には父親が怪我からくも膜下出血になり運ばれました。
父も私も医師には匙を投げられ、本当に呆然とするようなことばかりが起きていた時期なのですが、その時に「これまでプライベートで培ってきた自然やオーガニックの考え」が役に立つんじゃないかと思い、実践を重ねながら、体験や経験を取り入れる形でちょっとずつ自然とお仕事にも表れてきた感じです。
でも本当に当時は初心者そのもので、まずはベビーマッサージに使うオイルはオーガニックなものにするとか、お客様にご用意するおやつも手作りするとか。
だけど最初ですから、小麦粉は国産でもオーガニックではなく、お砂糖もスーパーで売ってるてんさい糖を使ったりまだまだでしたが、生産者さんや同じ考えのママたちに会う機会が増えることで、試行錯誤しながらどんどん偏りすぎる位まで加速していきました。
そんな私が本当の本氣で真剣に身をもって「オーガニックな生き方」と向きあうようになったのは、2017年です。
この年、私は悪性リンパ種の診断を受けることになるんです。ここで初めてこれまで身につけてきた知識や経験をしっかり活かして「自然の力で治癒できる!」と、本格的に取り組もうと思ったんです。
── 短い期間で立て続けに辛いことが頻発した時期で、とても大変だったと思います。
阿部:大変だったのかなぁ(笑)。自覚はあまりないのですが、ずっと入院していた父が2018年に他界してしまったことはやはり、とても辛い経験でした。私自身の病気や障がい、父親や母親の世話、そして子育てと、この時期に私は本当にたくさんのことと強制的に向き合わされてきたように思います。
そんな中で、特に今の活動へ繋がるようになったのは経営塾への参加が大きかったのだと思います。
これまでも個人事業主として「オーガニック」をお伝えしてきましたが、本当にいろいろなことをバラバラに展開していた側面がありました。
それが2018年という1年を通して集約されていったんです。
それまでもなんとなく自分の中では、一本の軸が通ってる感覚はあったんです。
でもそれをちゃんと言葉としてまとめていき、事業活動というものに反映させていく中で、社会的な活動へと意識も向くようになりましたし、私の中の「オーガニック」というものが確固たるものになったと感じています。
阿部芽久美流・オーガニックの心得
── 自身の経験と強く結びついた独自の「オーガニック論」があるように思うのですが、意識されていることは何かございますか?
阿部:オーガニックや自然のものというのは、人によってさまざまな切り口があると考えています。
例えば医療に関していえば薬や注射を打たず、食べ物などによって自身の治癒力を促進させる考え方。ほかにもホメオパシーやフラワーエッセンス、アロマなども勉強されている方はたくさんいると思います。
そんな中で、私の特徴をあえて言うならば「食と衣」へのこだわりだと思っています。
── 食と衣服、ですか。
阿部:自分の日常や生活というものが、何より私の中の優先事項なんだと思います。
うちの子どもは二人とも男の子で、すっごくたくさん食べるんですよ(笑)。よくよく遡ると父親も…血筋ですかね(笑)。だから自然と意識が食べものに向かったのではないかと思います。
それに、食べものって人間の身体を作るもっとも基本の部分ですよね。
私もかつて糖質制限なんかをストイックにやったことがあるんですけど、それで体調を崩しちゃったんですよね。玄米菜食にしても、実は偏りすぎてはいけないとか、けっこう人によって合う合わないや色々あるんですね。
そういった時に「じゃあどうしたらいいの?」というのを突き詰めていった結果、私がたどり着いたのは、
「健康に育った食材を摂取していれば、人間の身体も健康になるだろう」
というシンプルな答えだったんです。
── 健康な食材を摂取すれば、それを食べる人間も健康になる。わかりやすいですね!
阿部:やっぱり私はなによりもまず主婦なので、日々の生活の中で習慣になるものから意識が向くんですよね。そう考えると「健康な食材」というのは自分の身体のベースを作る意味でとても良いと思うんです。
そのおかげもあってか、うちの子どもたちはとても元気に育ってます。年齢的なものもあるかもしれませんけれど。
あとは衣服もそうです。身に纏う、肌に触れる物はやはり自然なものを選びたい。だからといって現代において人間が毛皮を着るために動物が一匹殺されるとか、そういうのは悲しいなっていうのはずっと感じていたんです。
これをもっと大きく見ていくと、生態系を守り地球の環境保護などにもつながると思っています。
2015年の9月に国連サミットで採択された「SDGs」という持続可能な開発目標にも掲げられていますが、世の中がそういった環境の保護やサスティナブルな社会を目指す動きは必然的だと思うので、国内での広がりに注目しています。
「SDGs」という言葉でわざわざまとめてはいますが、中身の考え方についてはずっと近年言われてきたことではありますよね。
そういったことを敏感に感じてきた私としては、お洋服のお見立てをする同行ショッピングなどでもそのあたりのバランスをすごく考えています。
── お見立てとオーガニックの関係は気になりますね。
阿部:私はよく、インナーとアウターのバランスについてお話をさせていただいています。
よく香りは脳にダイレクトに影響するなんていいますが、実は「肌への感触」もとても大切で、本当に良いものであれば五感で気持ちいいっていうのがわかるはずなんです。
その中で、フェアトレードであったりとか、その土地の土壌や環境が守られるようなものを選んだりとか。そういう視点で服やアクセサリーなどを選びます。
外側に着るものについてはナチュラルはもちろん、今度は肌に直接触れるものではないので、お客様のご要望も取り入れつつ、化学繊維やフェイクファーや合皮のものを見ながら、オシャレとしてのファッションに仕立てていく。そういう特徴があります。
バランスというか、オーガニックなものを選んできた私だからこそできる、そんなお見立てをしています。
── これからの活動について、目指す社会像などについて最後に伺ってもよろしいですか?
阿部:今はオーガニックなものも普及してきた一方で、情報が多いがゆえに迷うことも多いと思います。
実際にお客様も私の話を聞いてみて、「自分でインターネットでオーガニックなものを買おう!」と行動してみるものの、自分の中に明確な選択基準がないために選ぶのが大変だといいます。
そういうお客様にはメールで一人ひとり選び方をお伝えしたり、一緒にオーガニック食品を扱っているスーパーに行き、実際に手にとってもらいながら選び方をお伝えするようなツアーを開催したり、最近は、目的が闘病やそのご家族の方などには私の経験談も織り混ぜるなどしています。
SDGs も含め、日本にもこうした考えは広まりつつありますが、まだまだ興味関心の高い人たちが中心で、一般的にはまだもうちょっとハードルが高いのかなと思います。
ですのでちょっとずつ、例えば保育園で「添加物に関するお話会をします」というようなお便りが届いた時に、添加物って気をつけなきゃいけないものなんだとか、まずはそういうところからキッカケが増えていったらいいなと思っています。
私も保育園の家庭学級でそういったお話をいただいてお伝えしたこともあるのですが、そういったことに関心のある施設の方や行政の方ともつながっていき、お一人お一人の草の根から社会にもっと、オーガニックとは循環する社会のシステムそのものだという考え方を広げていったり、仕組みを作っていけたらと思っています。
(取材・文=大崎 博之)